身体の「動き」を読み解く専門家|「動ける」の先にある人生まで支える鍼灸師
高校最後の大会を前に足首を負傷。
それでも「自分が頑張らなければ」と無理を重ね、思うように動けないまま大切な試合を終える。
「あの時、一度立ち止まり、誰かと一緒に進み方を考えられていたら…」
その悔しさを原点に、鍼灸師の道へ。
その後も、仕事で一人ですべてを背負い、思うようにいかない時期を経験。
人に支えられたことで、一人ではたどり着けない場所があることを知る。
だからこそ大切にするのは、
「身体も、人生も、一人で抱え込ませない」
という信念。
痛みだけを見るのではなく、その先にある、
「本当はこうなりたい」
まで一緒に考え、人生というステージで頑張る患者さんの「応援団長」であることを目指している。
-資格・活動実績-
・国家資格:はり師・きゅう師
・専門技術:MORACTブレード認定(筋膜・軟部組織リリース)、動作解析
・活動実績:大相撲 琴奨菊部屋 トレーナー帯同、整骨院グループ個人MVP受賞



「一人で抱え込まないでください」——私が患者さんの「その先の人生」まで一緒に考える理由
施術家として私が大切にしていることがあります。
それは、痛みを和らげることだけでも、身体を動かしやすくすることだけでもありません。
「この方は、身体が良くなった先に何をしたいんだろう?」
そこまで考えることです。
そしてもう一つ、大切にしていることがあります。
「一人で抱え込まないでください」
ということ。
そう考えるようになったのは、これまでの人生で、私自身が一人で頑張ろうとして失敗したこと、人に助けてもらったこと、そして一人で悩み続ける患者さんやご家族と出会ってきたからです。
少し長くなりますが、ここでは、私がどんな経験をして、今どんな想いで患者さんと向き合っているのか、お話ししたいと思います。
もしよろしければお付き合いください。
ビビりで不器用だった私が、父から教わった「コツコツ続ける」原点
ビビりで不器用。でも、興味を持ったらとことんやる子どもでした。
私は、兵庫県尼崎市で生まれました。

幼い頃はかなりの怖がりで、大きな音がしたり、揺れたりする場所ではすぐ泣いてしまい、初めてのことには、なかなか一歩を踏み出せない子どもだったそうです。
その一方で、散歩に出れば道端のマンホールの穴に指を突っ込まずにはいられない。
今考えると、なかなか変な子どもですね。笑
この頃から逸材だったかもしれませんね。色んな意味で。笑
小学生になる頃、西宮市の甲子園方面へ引っ越しました。
幼稚園からずっと一緒の友達は一人もおらず、最初は休み時間を一人で過ごすこともありました。
そんな子ども時代、たくさんの経験をさせてくれたのが父でした。
山登りをしたり、水上スキーに挑戦したり。
特に水上スキーは、父が1年かけて身につけた技術を、私にも1年間みっちり教えてくれました。
父はできない私に文句を言うこともなく、何度でも練習に付き合ってくれました。
今思うと、深く愛されていたんだなぁと思います。

その練習の成果もあって、大会で2位になることができました。
「すぐにできなくてもいい。諦めず、コツコツ続ければいい。」
今振り返ると、この頃に父から教えてもらったのだと思います。
この考え方は、後の私の施術家人生にもつながっています。


「自分が頑張らなければ」が招いた、高校最後の試合での大きな挫折
高校ではバレーボール部に所属し、キャプテンを務めていました。
ところが引退試合まで残り3か月という大切な時期に、足首を捻挫してしまいました。
キャプテンとしてチームを引っ張らなければならない…
最後の大会も迫っている…
正直、相当焦りました。
ここで離脱するわけにはいかない。
だから私は、治療を受けながらも「何とか頑張らなければ」と無理をして部活動を続けました。
でも、身体は思うようには動いてくれませんでした。
飛べない…
動けない…
打てない…
決められない…
そして迎えた最後の大会。
近畿大会出場も狙える大切な一戦で、私はほとんどチームに貢献できませんでした。
ボールが回ってきてもネットにかける。
打てばブロックされる。
最後にはポジションを変えられ、選手交代でベンチへ下がりました。
最悪です。
お世話になった先輩たちも応援に来てくれていました。
「最後くらい、プレーで恩返しがしたい」
そう思っていたのに、何もできなかった。
悔しかった。
悲しかった。
虚しかった。
それすらも覚えてないです。
ベンチに下がってからのことは、頭が真っ白になって、ほとんど覚えていません。
あのとき一度立ち止まれていたら——挫折から学んだ「伴走者」への決意
苦しかったのは、試合だけではありませんでした。
ここからまた追い討ちあります。
観覧注意です。
嘘です。
読み進んでください。
敗戦後、同じクラスだったチームのエースとの関係も壊れてしまいました。
話しかけても無視される。
舌打ちをされる。
にらまれる。
それが卒業式まで続きました。
当時は本当につらかった。
長くないですか?笑
でも今振り返れば、私自身にも原因があったと思っています。
キャプテンだから。
3年生だから。
自分がやらなければ。
責任感だけで前に進もうとして、身体の状態をきちんと見つめることができていませんでした。
もう少しきちんと治療してから復帰していたら。
一度立ち止まり、どうすべきかを考えていたら。
結果は違っていたかもしれません。
悔やんでも悔やみきれません。
この経験が、施術家を目指す大きなきっかけになりました。
「がむしゃらに前へ進もうとしている人に、一度立ち止まって、一緒に進み方を考えようと言える人になりたい」
理学療法士、柔道整復師、鍼灸師、スポーツトレーナー。
さまざまな道を考え、最終的に私は鍼灸師を選びました。
一方的に何かをしてあげるのではなく、患者さんと二人三脚で関わっていきたい。
それが、この道を選んだ理由でした。
要領が悪かった修業時代。施術の軸となる「動作分析」との出会い

施術家になったからといって、最初から何でもできたわけではありません。
むしろ私は、要領がいいタイプではありませんでした。
周囲がどんどん成長していく中、自分だけが取り残されているように感じることもありました。
だから出勤すれば院長の身体を借りて色んな手技や施術の練習をし、会社の勉強会にはできる限り参加しました。
休日もセミナーに参加しました。
才能で追いつけないなら、学ぶ量と練習量で少しずつ距離を縮めるしかない。
そんな気持ちでした。
特に大きな影響を受けたのが、当時の院長先生です。
施術前に身体をチェックし、
「どの関節が動いていないのか」
「その影響で、身体のどこに負担がかかっているのか」
「限られた時間の中で、どこへアプローチするべきなのか」
を考え、結果につなげていく先生でした。
私はその先生の動き、言葉、患者さんへの声かけまでメモし、自分の施術で一つずつ実践しました。
そうして学び続けるうちに、私自身も「動き」「ムーブメント」「運動連鎖」といった考え方に強く惹かれるようになりました。
現在の私が得意とする動作分析の原点です。

個人MVPを獲得しても、院を良くすることはできなかった苦悩の時期
経験を積み、2016年には個人MVPを受賞。
勤務していた院も最優秀院に選ばれ、その後、副院長を任せていただくことになりました。
「もっと患者さんに喜んでもらいたい」
「もっと良い院にしたい」
そう思っていました。
ところが現実は逆でした。
なんと、私が頑張れば頑張るほど、院の数字が落ちていったのです。
なんでやねん!って感じです。
どうしたらいいのか分からない。
本当にどうしていいのか分からないんです。
本気で助けてほしくて、同僚に相談しました。
「どうやったら院の数字を伸ばせるかな?」
返ってきた答えは、
「気合」
の一言でした。
あの瞬間、自分の中で何かが崩れた感覚を、今でも覚えています。
誰を信用したらいいのか分からなくなりました。
仕事を辞めることも考えました。
自分が現場に立てば、また数字が下がるんじゃないか。
そう思うと、院の自動ドアを開けるボタンすら押せない時期もありました。
完全にやられていますよね。
店舗の閉鎖まで議題に上がっていたそうです。

マイナス120万円からの復活劇。「一人でできることには限界がある」と知った経験
転機になったのは、エリアマネージャーによる人事の見直しでした。
立地や院の状況、スタッフ同士の相性などを分析したうえで、私を残し、その他の人員を入れ替えるという決断がなされました。
新しく来てくれた仲間たちは、
「こうしてみるのはどうですか?」
「僕、これやっておきますよ」
「大丈夫です。任せてください」
と、自然に声を掛け合える人たちでした。
さらに上司からのサポートも加わりました。
すると、目標売上に対して約120万円届いていなかった院が、やがて目標を超えられる院へと変わっていきました。
私一人の力で立て直したわけではありません。
むしろ逆です。
「一人でできることなんて、たかが知れている」
それを身をもって知った経験でした。
誰かに頼ること。
助けを求めること。
それぞれの得意なことを持ち寄ること。
そして、同じ目標に向かってチームで進むこと。
一人では見ることのできなかった景色を、仲間となら見ることができる。
現在、実現治療院 寝屋川店で「チームケア」を大切にしている原点の一つが、この経験です。
「大切な家族を守れる自分になりたい」——訪問施術の世界へ飛び込んだ理由
その後、院は立ち直り、私は院長を任せていただくようになりました。
始発で出勤し、終電で帰る。
後輩のための勉強会となれば、夜中まで資料を作る。
自分が成長するため、院のため、後輩のため。
一生懸命働いていました。
でも、ある疑問を持つようになりました。
「この働き方で、本当に大切な人を守れるのだろうか?」
私には、大切な妻がいます。
両親がいて、弟がいて、妻の家族もいます。
仕事を頑張ることはもちろん大切です。
でも、大切な人と過ごす時間も、その人たちを支える力も持てない働き方を、このまま続けていいのだろうか。
そんなことを考えていた頃、新型コロナウイルスの流行によって院の売上が大きく落ち込みました。
自分の人生や働き方を改めて考えるきっかけになりました。
そこで知ったのが、鍼灸師という資格を活かした「訪問施術」という働き方でした。
家族を守れる自分になりたい。
そして、自力で治療院へ通えない方の力にもなりたい。
そう考え、私は訪問施術の世界へ飛び込みました。
「何をしてあげたらいいか分からない」——あるお母様の不安に寄り添った日
訪問施術の世界に飛び込んでから、まだ間もない頃、忘れられない患者さんと出会いました。
バイク事故で頭を強く打ち、脳挫傷となった方でした。
言葉を話すことができず、手足もほとんど動かない状態で施設に入居されていました。
私は、関節が硬くなってしまうことを予防するための施術を担当することになりました。
無料体験後、ご家族へ電話をすると、お母様が事故から現在までの経緯を話してくださいました。
突然の事故。
救急搬送。
そして施設への入居。
日に日に身体が動かなくなっていく息子さん。
「何をしてあげたらいいのか分からない」
その言葉から、お母様がどれほど不安の中にいるのかが伝わってきました。
当時の私は、訪問施術を始めてまだ間もない頃。
介護についても、今ほど知識があったわけではありません。
だから考えました。
めちゃくちゃ考えました。
「今の自分に、何ができるだろう?」
頼まれてもいない資料を、ゼロから作りました。
私は、今の自分にできる鍼灸施術や考えられる方針をまとめた資料を作ることにしました。
雛形なんてありません。
ゼロからです。
整骨院勤務が中心だった私には、麻痺のある方への経験も正直、十分とは言えませんでした。
だから調べました。
考えました。
「この患者さんなら、どんな情報が必要だろう」
「ご家族は、何を知ることができれば少し安心できるだろう」
100%良くなるなんて約束はできません。
私の施術を選んでもらえる保証もありません。
それでも、その資料がご家族にとって、これからを考える材料の1つになればいい。
そんな思いで作りました。
「先生に出会えてよかった」——患者さんを取り巻く「ご家族の願い」に触れて
数日後、施設長から、
「〇〇さんのお母さんが、鈴木先生と電話で話したいそうです」
と連絡がありました。
正直、緊張しました。
電話をすると、お母様から最初にいただいた言葉は、
「息子のことを、よろしくお願いします」
でした。
その後、訪問施術が始まりました。
硬くなっていた身体が少しずつ柔らかくなっていく様子を、お母様も喜んでくださいました。
そして私は、お母様から忘れられない言葉をいただきました。
「先生に出会えて、本当によかった」
事故前の状態に戻ることは難しいかもしれない。
それでも、今の状態を少しでも維持できるかもしれない。
先生が作ってくれた資料を見て、暗闇の中に少し希望が見えた。
そんなお話をしてくださいました。
のちに私が会社を退職し、担当を離れることをお伝えした際には、涙を流して「ありがとう」と言ってくださいました。
この経験は、私に訪問施術という仕事の意味を教えてくれました。
そして、もうひとつ大切なことに気づかせてもらいました。
私たちの目の前にいるのは患者さん一人でも、その方が少し良くなることを願っている人は、一人ではない。
ご家族がいます。
支えている人たちがいます。
患者さんの身体に触れるということは、その方を大切に思う人たちの願いにも触れることなのだと思います。
身体も、生活も、ひとつだけを見ていては分からない。だからこそ「チーム」で支える
私が施術で大切にしている「動作分析」では、痛みがある場所だけを見ることはしません。
身体は、それぞれの関節や筋肉が連動して動いているからです。
ある場所が動きにくければ、別の場所がかばう。
過去のケガや現在の痛みによって、無意識に身体へ力が入っていることもあります。
だから、身体全体の動きを見ながら、
「どこが動いていないのか」
「どこが頑張りすぎているのか」
「どこへアプローチすれば、より自然に動けるのか」
を考えます。
そして私は、患者さんの生活も同じだと思っています。
患者さんだけを見ていても分からないことがあります。
ご家族がいて、ケアマネジャーさんがいて、主治医の先生がいて、ヘルパーさん、訪問リハビリ、デイサービスなど、その方の生活を支える人たちがいます。
身体がさまざまな場所の連動によって動くように、人の生活もまた、さまざまな人の支えによって成り立っています。
だから実現治療院 寝屋川店では、治療院のスタッフだけで完結するのではなく、患者さんに関わる皆様との連携を大切にしています。
痛みが取れた「その先」へ。患者さんが本当に叶えたい生活を一緒に目指す
施術家として、痛みを和らげること、身体を動かしやすくすることは大切です。
でも私は、それだけがゴールだとは思っていません。
なぜ、その身体を良くしたいのか。
もう一度、自分の足で歩きたいのか。
自分でできることを増やしたいのか。
大切な家族と過ごしたい時間があるのか。
その人によって答えは違います。
症状の向こう側には、その人が実現したい生活があります。
だから私は、患者さんが訴える症状だけではなく、
「この方は、これからどんな生活を送りたいのだろう」
というところまで一緒に考えられる施術家でありたいと思っています。
最後に。一人で抱え込まず、あなたの「こうなりたい」を聞かせてください
これまで多くの患者さんやご家族と関わってきました。
その中で、
「家族に迷惑をかけたくない」
「こんなことを相談していいのか分からない」
「誰にも言えない」
と、一人で頑張っている方をたくさん見てきました。
私自身もそうでした。
高校時代、「自分が頑張らなければ」と無理をしました。
副院長時代も、「自分が何とかしなければ」と抱え込みました。
そして、人に助けてもらうことで初めて、一人ではたどり着けなかった場所へ行けることを知りました。
だから今、患者さんやご家族に伝えたいことがあります。
一人で抱え込まないでください。
身体のことでも構いません。
生活のことでも構いません。
「こんなことを相談していいのかな」と思うことでも構いません。
まずは、あなたが困っていることを聞かせてください。
そして、
「本当は、どうなりたいですか?」
その答えを、一緒に探していきたいと思っています。
一人で登れる場所には限界があります。
でも、ご本人、ご家族、医療・介護に関わる皆様が力を合わせれば、一人では見ることのできなかった景色にたどり着けるかもしれません。
私は施術家として、そのチームの一員でありたい。
そして、人生というステージで頑張る皆様の「応援団長」でありたいと思っています。
あなたが実現したいことを、ぜひ聞かせてください。
実現治療院 寝屋川店
鈴木 宏彰